[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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暫くメモを、スマホでカラオケ選曲履歴の写真だけ撮って自分の手元に残すミニマル方式にしていたが、写真を撮り忘れた&久々に感想が出た?のでメモ。
JOYSOUND/設定→エコー3 ミュージック27 マイク31
◆セトリ◆
◆セトリ◆
1 百万本のバラ
2 THE WINNER
3 Plazma
4 STAND UP TO THE VICTORY(♯3)
5 勇者
6 バーニング・ラヴ(♯3)
7 Plazma(2回目、#2)
8 つぐない
9 石狩挽歌
◆THE WINNERのカラオケ アニメ映像、試作1号機・2号機大破後のガトーの「二度と忘れん」のシーンで終わるの最高。この曲はウラキ自認で歌うのが、ハマり方としても最高すぎる。
◆PlazmaはCメロの一部がまだ曖昧だった。というかリズムがわかりにくい。キーは全体としては、原曲キーでもなんとか歌えるけれど、#2ぐらいあるといいかなと思って後でもう一度歌った。実際歌うと、正直#3でもいいような気がした。
◆勇者はフリーレン文脈で歌ってみたが、どうもメロディー設計が自分の声の出し方に合っていない(薄々わかってはいた)。早口で、どうしても発声の処理能力を要求されるので、今後も歌いたいならブレスの継ぎ方が課題になる。あと 今日の中低音曲多めのラインナップの中、不意打ちでキーが高めの曲になってしまったかもしれず、それも歌いづらさだった。
◆バーニング・ラヴは#3でいけた。Aメロの低さ的には#4でもよさそうだが、サビの中音の響き具合を思うとサビだけなら#3がよい気が。
◆最後に懐かしさ(とはいえ当時生まれてはいない)から 石狩挽歌を入れたものの、1番の最後のところ あまり覚えていなかった。オンボロボロロ〜までは完璧(?)なので、なんか悔しい。
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フッサールは、私を「説明」した訳ではなかった。
それで良かったのだと思う。
幾ら現象学で説明がつく私でも。
ここから先は、私である。
では、私をなんと 説明したら良いのか?
否、私である。単なる私であるのだ。
現象という言葉に依らない考え方を探す。
或いは、哲学にすらも 傾かぬ事。
Denken.
むやみやたらに自己を責めるのではいけない。でも逆に、やたらと褒めそやすのも無意味だ。たとえその内容が良いでも悪いでも、そもそも価値判断というのはろくなものを持ってこない。
司祭は今日も口にした。嗚呼、神よ、どうか私をお赦しください、と。司祭はそう口にするたび、喉の渇きが癒えるような感覚をおぼえた。
すると司祭は、今日は随分ほっとして、聖堂の門をくぐり、町へと飛び出して行った。少し歩調を早めて歩く司祭の耳に、路地裏から女の悲鳴が飛び込んだ。男たちの乱暴な声も入り混じっていた。
然し、司祭は何もできなかった。路地に立ち入ることもなく、その場に立ち尽くし、ロザリオを握りしめて祈るだけだった。
次の日も、司祭は口にした。嗚呼、神よ、どうか私をお赦しください、と。その祈りが、毎日毎日、司祭と誰かの罪を運んだ。司祭はもう、町へ繰り出すことはなかった。女神をかたどった像の前で、あの日の悲鳴の主を思い浮かべ続けるだけだった。
ある日、聖堂に一人の女が訪れた。然し司祭は、女が入ってきたことに気づくこともなく、祈りを捧げ続けていた。司祭には最早、目も耳もなかったのだ。四肢もまた、祈りのための器でしかなかった。
ある日、聖堂に一人の女が訪れた。然し司祭は、女が入ってきたことに気づくこともなく、祈りを捧げ続けていた。司祭には最早、目も耳もなかったのだ。四肢もまた、祈りのための器でしかなかった。
「嗚呼、神よ、どうか私をお赦しください」声はいつまでも、聖堂の空間にこだましていた。
アーレント的な孤独(solitude)は自分が自分とともにいて、自分とよい友であること。でも、それでいて他者や外界とも関わる。
ただその瞬間に、自分との繋がりが断絶されてしまってもsolitudeは成立しない気がして、では、他者や外界とも触れ合いながら、自分のことも忘れない/裏切らないのがsolitudeであると考えた。
ただその瞬間に、自分との繋がりが断絶されてしまってもsolitudeは成立しない気がして、では、他者や外界とも触れ合いながら、自分のことも忘れない/裏切らないのがsolitudeであると考えた。
