[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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昔々、とある学者さんがおりましたとさ……。
「もうヤダ!エポケー(判断中止)!」
そう言って眼鏡を投げ捨て、ベッドに転がり込む男。彼の名は、エトムント・フッサール。人間の「心」や「意識」を研究する学者だった。ただし、そうは言っても「心理学者」ではない。フッサールの学問は、古代ギリシアに始まって、そこで「哲学」と呼ばれたものだった――つまり、フッサールは「哲学者」と呼ばれる人種だった。
「エポケーはあなたにとって専門用語ですよね? だったら正しく使って、さっさと研究進めてくださいよ」
しずかな目をした背の高い女性が、フッサールに苦言を呈する。彼女はフッサールの弟子で、研究を大いに手伝っているエーディトだ。そもそもこのエーディトが追い立てないと、フッサールは研究に取り掛からないことのほうが多い。然し、追い立てたって、研究に取り掛からないことはもっと多い。
「だって飽きちゃったんだもん。現象学ムズカシイ。ねぇエーディトさぁ、それより数学の話しようよ。ほら、この三角形の底辺の……」
「仕事をしろ! 現象学を!!」
長いひげをいじってごねるフッサールを、エーディトが一喝する。そう――フッサールが取り組んでいた学問は、現象学と呼ばれるもので、哲学の中ではあまりに前衛的だった。それゆえ、この時代には彼ぐらいしかやろうとしなかったのである。それは、まあ――仕事も捗らないわけだ。
(本気を出したら、この人は『スゴイ』のに……)
一向に仕事に戻る気配を見せず、ベッドでゴロゴロするフッサールを見ながら、エーディトは遠い日のことを思い出していた――
「ねぇエーディト。この世ではみんな誰もが『当たり前の世界』を共有している。でも、たとえばどうして『リンゴは赤くて丸いよね』って自分以外の人に言い切れるのかな。全人類が顔を合わせて、リンゴを確かめ合ったわけじゃないじゃないか。そのリンゴが、客観的に見ても赤くて丸いだなんて……『客観』って、何なのさ?」
そうつぶやきながら、フッサールはあの日、エーディトの横で街の影に埋もれた地平線の、もっと向こうを見ていた。
「当たり前の世界について」これがまさしく、現象学のテーマとするところなのだ。もっと言えば――「人間みんなに同じ『当たり前の世界』が見える『現象』について」――それが彼の専門分野・現象学。
ただし、真面目に取り組むことは、見ての通り少ない……。
「もう三角形のもの全部捨てますよ! 三角見るとすぐ数学の話しちゃうんだから!」
「いいもん! そしたら長方形とか菱形で数学するし!!」
フッサールは哲学者だし、とうに「おじさん」の年齢だが、あまりに「子ども」なところもある。そして、三角形のものを全部捨てられたぐらいじゃ、へこたれない意志の持ち主でもある――ほんとうは、現象学に対しても、その姿勢はあるのだが。
この学問は、新しすぎたし、それを理解する人もなかなか居なかったので、ついてくる者もそうは現れなかった。そんな中で、フッサールには、エーディトという有能な弟子がいる。彼女は、なかなか仕事をしないフッサールを叱るだけでなく、実は彼が蔭で現象学について書き散らしていたメモを、しっかりした文章にまとめ上げていたりするのだ。作る料理も上等だし、服をきちんと畳むことも容易な人――逆に言えばフッサールは、服をきちんと畳まない。ちなみに、エーディトの好物はチーズケーキ。
そのチーズケーキが、ストレス発散のためにそろそろ欲しくもなってくる……そう思いながらふと視線をずらしたとき、エーディトは床に落ちている紙に気付いた。フッサールの文字で、何か書かれている――
「この直観は、説明不能だが、おそらく絶対に当たっている」
エーディトには、そのメモがただの落書きには思えなかった。だから彼女はそれを拾い上げて、自分の手帳にそっと挟んだ――
――つづかない。(歴史上ではつづく)
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それは幾度繰り返されてもたった一度しかなくて
たった一度のそれを誰もが誤読してゆく――
カフェでいっしょに坐ったあの人の話が
凡そ解らないわけではなかった
寧ろそこに大いに共振を覚えたからこそ
私たちはあの日カフェに同席できたのだろう
大きな扉の前に立ち尽くしてそれが開くまで
祝福を待っていた強く烈しい気配を
セーレン
あなたの言いたいこと「解った」なんて言わないよ
それは飾りない生身が空を飛ぶようなもの
セーレン
私はそれでもこれだけを感じ取る
あなたは生き抜いて、生き抜いたんだと
ただひとりのあなたを
それは幾度繰り返されてもたった一度しかなくて
たった一度のそれを誰もが誤読してゆく
私もそのひとりに過ぎないのかもしれないのに
なのに、あなたをあのカフェへ連れ込んだ
わがままだろう?
ヒトって自己で在りたいと思うし
なのに誰かと共振したいとも願うんだ
自分より前にも 自分より後ろにも
もう現れない自己の輪郭を確かめるために
セーレン
あなたの言いたいこと「解った」なんて言わないよ
それが最大限にあなたを冒涜すると
私は一応、識っているつもりなんだ
でもね、それでもあなたはとても私に似ていると思うし
だからこのカフェに同席できたんだ
たとえ時代を超えても
セーレン
あなたが愛おしい
たった一度のそれを誰もが誤読してゆく――
カフェでいっしょに坐ったあの人の話が
凡そ解らないわけではなかった
寧ろそこに大いに共振を覚えたからこそ
私たちはあの日カフェに同席できたのだろう
大きな扉の前に立ち尽くしてそれが開くまで
祝福を待っていた強く烈しい気配を
セーレン
あなたの言いたいこと「解った」なんて言わないよ
それは飾りない生身が空を飛ぶようなもの
セーレン
私はそれでもこれだけを感じ取る
あなたは生き抜いて、生き抜いたんだと
ただひとりのあなたを
それは幾度繰り返されてもたった一度しかなくて
たった一度のそれを誰もが誤読してゆく
私もそのひとりに過ぎないのかもしれないのに
なのに、あなたをあのカフェへ連れ込んだ
わがままだろう?
ヒトって自己で在りたいと思うし
なのに誰かと共振したいとも願うんだ
自分より前にも 自分より後ろにも
もう現れない自己の輪郭を確かめるために
セーレン
あなたの言いたいこと「解った」なんて言わないよ
それが最大限にあなたを冒涜すると
私は一応、識っているつもりなんだ
でもね、それでもあなたはとても私に似ていると思うし
だからこのカフェに同席できたんだ
たとえ時代を超えても
セーレン
あなたが愛おしい
(noteより転記)
アンチノミーという言葉がとても好きだ。
でも「ひとり」じゃ決して成立し得ないであろう、アンチノミー。
違う立場から生える「正しさ」同士が対立することで初めて「アンチノミー」という現象になる気がする。
だから、自分ひとりで居ても「二つの真」は生まれないような。
アンチノミーという言葉が、好きだけど。
ひとりで居て、ひとりでアンチノミーになることはおそらく困難だ。
何だかそれだけのことが、ものすごく寂しく感じられて、いまの私は途方もない気持ちを抱えている。
それでも私がひとりのまま「noteを投稿する」という形で、何らかの間主観性を立ち上げようとすることで、現象としてのアンチノミーを起こせないか?
「誰とも分かり合えない」と思ってたし、「ならば誰とも居たくない」と思ってた昔の自分。
今だって他人と触れ合うことは「得意ではない」。
自分の内在は、浸食なんてされ得ぬ筈のものなのに、時々「侵犯された気持ち」に、勝手になってしまう。
そんな私が「異なる二つの真という現象」と捉えたときに「どうしようもなく好きだ」と感じる、アンチノミー。
私は結局、アンチノミーだけでなく、それを内包する人間という存在をも「どうしようもなく好き」でいるのかもしれない。
アンチノミーという言葉がとても好きだ。
でも「ひとり」じゃ決して成立し得ないであろう、アンチノミー。
違う立場から生える「正しさ」同士が対立することで初めて「アンチノミー」という現象になる気がする。
だから、自分ひとりで居ても「二つの真」は生まれないような。
アンチノミーという言葉が、好きだけど。
ひとりで居て、ひとりでアンチノミーになることはおそらく困難だ。
何だかそれだけのことが、ものすごく寂しく感じられて、いまの私は途方もない気持ちを抱えている。
それでも私がひとりのまま「noteを投稿する」という形で、何らかの間主観性を立ち上げようとすることで、現象としてのアンチノミーを起こせないか?
「誰とも分かり合えない」と思ってたし、「ならば誰とも居たくない」と思ってた昔の自分。
今だって他人と触れ合うことは「得意ではない」。
自分の内在は、浸食なんてされ得ぬ筈のものなのに、時々「侵犯された気持ち」に、勝手になってしまう。
そんな私が「異なる二つの真という現象」と捉えたときに「どうしようもなく好きだ」と感じる、アンチノミー。
私は結局、アンチノミーだけでなく、それを内包する人間という存在をも「どうしようもなく好き」でいるのかもしれない。
触れ合えるところだけ触れ合って、互いの世界の成立の仕方に敬意を払いながら有難く通り過ぎる仕方。
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