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[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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(noteより転記)



そもそも私の人生における苦痛というものは、精神病が先立つものではなく――これは飽くまで副産物で――生来の自己の態度が社会の態度と隔絶的であったことに依るものだとは思うが、治療の過程についていまこそ思い出すので、少し語りたい。

精神科にて「認知行動療法」というモノを施されたことがある。この、精神医療における認知行動療法というのは、飽くまで自己を「自明の客観的な認識」に合わせようとする自然的態度の産物であると私は思う。

ゆえに私はこの療法を施されていた頃、ひどく理不尽に感じていた――「自分がそのままにそう感じることを、何故『矯正』せねばならないのだろう?」と。


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(noteより転記)




「疲れ果てて泣くだけ泣いて
『死んでやる』と飯を炊きながら日々を越える」
(『初めての呼吸で』より)

哲学をご存じの方の中にはこのフレーズを目にして「これぞ実存!」と思った方がみえるのではなかろうか。否、哲学なんて知らなくても、こういう「日々を越え」た人、このフレーズに「共鳴」する人は多い筈だ。

さて、先のフレーズは、THE BACK HORN(ザ・バックホーン)というロックバンドの楽曲の歌詞である。

私はTHE BACK HORNがずっと好きだ。始まりは10代の終わり頃、偶然聞いていたラジオから流れた楽曲「声」。一見するとロックバンドによくあるアップテンポのナンバーに思えなくもない。だが、歌詞にあるような「儚さを抱きしめて」いるその音楽性は、私の想像する「普通のロックバンド」とはニュアンスが異なり、ずっと心に残っていて――私はのちにベストアルバム「BEST THE BACK HORN」を購入した。




閑静な師走の町は出発点 跳べよ世界へ吾がコギタチオ



[閑静な皐の町で死んでゆく 羽化不全なる蛹のように]へのセルフ・アンサー
誰が為に吾、汝れを謳うか。
救いのイデア 転回せんと、
まぐれに賭けた暁の夜。
誰が為に吾、汝れを謳うか。
(noteより転記)




「イデアも、コギトも、絶対精神も、全部前提で、脱構築されて、脱構築もまた脱構築される、永久機関のようで思うだけで美しい」

「エピステーメーは壊すモノのようなのに、パラダイムは更新されるモノのような感じがする。その差異がふしぎで心地よい」

近頃の私は、そのように、哲学を「思考の対象」としてでなく「絶対美として鑑賞」することがあった。





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