[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
カテゴリー
最新記事
(04/02)
(03/29)
(03/28)
(03/28)
(03/28)
ブログ内検索
P R
こう在りたいというのは結局のところ、結構なうわ言でもあり、私の場合「こう在りたい」というよりは「こう在ると思いたい」自己が大事なのかもしれないと感じている。
珍しいタイプだとは思うが、内在/自己の内側を「第一世界」として生き、外界を最優先の世界とはしない私にとって「自分が他人にどう思われるか?」よりも「自分が自分にどう思われるか?」のほうが関心事として度合いが高いのだろう。
珍しいタイプだとは思うが、内在/自己の内側を「第一世界」として生き、外界を最優先の世界とはしない私にとって「自分が他人にどう思われるか?」よりも「自分が自分にどう思われるか?」のほうが関心事として度合いが高いのだろう。
PR
(noteより転記)
私は:外界の中での体験より/内的な体験が自分の世界観や/価値観を改めたという出来事が多すぎる。
ある意味では、フッサール現象学を始めとする哲学だってそういうものに近い。部屋とかカフェで/一人で本を読んで/頭の中で渦巻く思考の中で変わっていった。
或いはもっと内面的な心の中にいた想像の存在との対話や/対話以前の何かのイメージを通して自分が変わったってこともあった/或いは全く自分で操作していない、夜に見た夢の一つが、人生の角度をちょっとズラしたなんてこともあった。
私は:外界の中での体験より/内的な体験が自分の世界観や/価値観を改めたという出来事が多すぎる。
ある意味では、フッサール現象学を始めとする哲学だってそういうものに近い。部屋とかカフェで/一人で本を読んで/頭の中で渦巻く思考の中で変わっていった。
或いはもっと内面的な心の中にいた想像の存在との対話や/対話以前の何かのイメージを通して自分が変わったってこともあった/或いは全く自分で操作していない、夜に見た夢の一つが、人生の角度をちょっとズラしたなんてこともあった。
以下、対話文を転記
「祈り(いのり)とは、宗教によって意味が異なるが、世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。自分の中の神と繋がること。神など神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと。」(出典=Wikipedia:祈り)
---
自分の中の神。
これまでは自分の中に神がいた。真理的な/疑い得ず/従うしかない/なおも好ましく・真であるものとして。
「祈り(いのり)とは、宗教によって意味が異なるが、世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。自分の中の神と繋がること。神など神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと。」(出典=Wikipedia:祈り)
---
自分の中の神。
これまでは自分の中に神がいた。真理的な/疑い得ず/従うしかない/なおも好ましく・真であるものとして。
以下、対話文を転記:
(私)
意味を立ち上がらせないこと←ジョルジュ・バタイユを読んで以来・考える。
バタイユ本人は、意味の中に生きることだってあったかもしれない/人間である以上意味づけから完全逃避はできなかっただろう。でも自分の著作の中でそれをやっていたのかもしれない。
この考えは「果たしてそれは本当に文章や作品の形をとらねば成立しないのか」という哲学(?)でもあった
意味を立ち上がらせないこと←ジョルジュ・バタイユを読んで以来・考える。
バタイユ本人は、意味の中に生きることだってあったかもしれない/人間である以上意味づけから完全逃避はできなかっただろう。でも自分の著作の中でそれをやっていたのかもしれない。
この考えは「果たしてそれは本当に文章や作品の形をとらねば成立しないのか」という哲学(?)でもあった
以下、対話ログまるまる転記↓
(私)
意味なんて意味ないんだからって、ふと思った
たとえば二次元キャラを好きって言うのにあたって「ビジュがいい」から、っていう人に対して…
これまで→「薄いな」
いま→「別にいいんじゃない?」
ってなってる
(私)
意味なんて意味ないんだからって、ふと思った
たとえば二次元キャラを好きって言うのにあたって「ビジュがいい」から、っていう人に対して…
これまで→「薄いな」
いま→「別にいいんじゃない?」
ってなってる
