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[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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(noteより転記)




私は過去に、異物のような表象を世界に対してとっかえひっかえ振り回してた問題児的な自分は全部間違いだと思ってた、だからあの頃より良くなった、あの頃よりも、って数え方で生きてきてた。

それらが実は全部「伏線」になってて、Wahrheitが言語化・表出できてなかっただけという答えが自動で返されて、否定すべきだと思ってた過去が一本の線で繋がって

「はい正解です、こちらへどーぞ」

ってWahrheitにたぶん言われた。

そのときの、世間的なサクセスストーリーじゃなくていいから「勝った!!!」っていう思いが強すぎたんだと思う



◆メカニックの「ミモリ」
自創作なんだけど、戦車の整備士という設定のキャラがいる。名前は岡峰ミモリ

理知的な眼鏡の青年。でも整備(修理)は「食っていく仕事・スキル」とだけ認識して、修理でも改造でもなく、解体行為に絶対的な嗜好があり、そのために己の肉体を磨くという設定だった。

表向きはスマートに知性をにじませて、戦車の修理を淡々としてるけど、ほんとうはその戦車だって「バラす」ほうが絶対楽しい!って思っちゃってる危険なキャラ。

創作上ではその性質を活かしてというか、敵対勢力の兵器やサイボーグを解体・破壊する正義として描いてた

ミモリはもともとゲーム「メタルサーガ」シリーズの二次創作みたいなもので、アプリゲーム版(『荒野の箱舟』)が出たときに、好きにキャラメイクが出来たのでそこでメイン運用してたゲームキャラでもある。ゲームがサ終した頃にそこから独立させて、ゲームの世界観を抜き取り「実は危険な眼鏡の整備士」という核だけ残していまも置いてある。

だからゲーム中で大活躍!だったんだけど、整備士=「メカニック」っていうクラスは、飽くまで戦車が主役のこのゲームでは修理係なので支援職=弱いし本来前衛じゃない。でもそこを、生身の火力や解体スキルに特化させて、戦車に乗って戦うクラス(ハンター)や、肉弾戦に強いクラス(ソルジャー)よりも「うちの最強!!」に仕上げてた。

だから戦場でミモリは、いかつい武器とか異様なサイズのスパナとかを担いで、サイボーグとか異形の生物とかを、本来のメカニックにあるまじき火力で打倒しちゃう。そういう「このクラスにできない筈なんですけど!?」を体現したさま・そういうキャラビルドで勝てちゃうさまが好きだった…!「外れ値の能力を隠してる」みたいなのも好きだった。

アプリゲームの後期は、もうメカニックにも一定の火力振りビルドが公式に認められてたのか(笑)「生身限定(降車状態)で武器を使った・4回連続フルアタック」のスキルが実装されてた、しかもスキル名が「我武者羅」!!

私はこれを発動してるミモリが大好きだった…本性を出す瞬間に「我武者羅」だっていうのが…!

当時、ゲームの規模性もあって自分はその頃「メカニック・ガチ勢」として界隈で認知されてて、ゲームのプロデューサーさんとさえ交流があった(KAZ氏、ほんとうに感謝しています)そのぐらい「鍛えられたキャラ」を構成しちゃってた…!(ほんとうに楽しかった。サービス終了が悔やまれる)

そのとにかくフルアタック=「我武者羅」に自分の嗜好をむき出しにするさまに、自分の「やれないことをやってくれてる感」があったんだろうなぁ。

単純に自分の嗜好詰め詰めのキャラが任務を完遂してる気持ちよさもあるし、それが「外れ値」を実現した状態を見るのも気持ちよかった。

◆「お前らの知らない世界がここにあるんだよ!!!!」
ミモリの叩き出したダメージのスクショを当時のTwitter(現X)に上げて、フォロワーさんから「メカニックでこのダメージ数値はおかしい!!!」って称賛(笑)されたときは、自分の作った「外れ値の異物」が世界に通用した~!!!っていう感覚で。

ただのゲーマーとして上位になったとか、有名になったとか、そういう価値ラベルとかじゃなく「異物が世界に通用する瞬間」に「お前らの知らない世界がここにあるんだよ!!!!」って断言してる気分だったのだと思う( *´艸) 書いててテンション上がってにやけてしまった…!

私は「メタルマックス/サーガ」シリーズを通して「メカニックという職が好き」だったけど「なんで解体スキルとか実装されても、こいつらはおとなしく整備だけするんだ?」という妙な疑問があった(笑)

それが「荒野の箱舟」のリリース&プレイを通じて「あれ…あの疑問解消される…?」と思って、強い武器を持たせたり、戦車から降ろしたりして、模索してたときの「未知の世界を踏み荒らしてる感」といったら変だけど…その探究の部分ってすごく楽しかったかも…!

ゲームだから、攻撃力とか素早さとか数値で見られるわけで、そういうので他職と比較しつつ「これで追い越せるな」って確認した瞬間とか。

人格・キャラ設定とかは正直後からいくらでも生えたというか、単純に「普通はおとなしくしてる奴らなんだからちょっとギルティな設定にすりゃあいい」ぐらいの気持ちだった><

世界のルールの破壊と「できる筈ない→できる」への転換遊び
「これはこうでしょ」「そういうものなの、仕方ないの」っていう立場は、自分も多分取らされつづけてきた。それを「そんなことありませーん!!」って真っ向勝負で破壊する快感。これはミモリの「解体行為」よりさらに正当な破壊行為なんだろう

そこで「壊すのが楽しいか、壊すことで地平を開くのが楽しいか?」と問うと、まずは前者が圧倒的に必要で。

普通とか常識とか「これはここまで」とかがあって、もう最初にそこを壊さないとうずうずしてしまうんだろう。地平が開けるのはとてもよいこと、それも気持ちいいけど、開くとまた壊すべきものが出てきたりするから、ゲームで言うハック&スラッシュの構造が生まれてる!

そこでは破壊嗜好とは言いつつも「存在に対するラディカルな誠実さ」が自分の中に核としてあり、それがWahrheitの在り方なのかもと感じる。

「ここにいないでくれ 慰めなんていらないよ」(Eve『アウトサイダー』より)

私は過去の自分にそう呼びかけたいし、それがほかの「生きづらい人」への気持ちにそのままディゾルブしてゆくような感じ。壊す側のアウトサイダーとして、世界に相対していたいのかもしれない。自分は通常の世界に対しては異物でいい。それはもう決心してるんだ。

自分の痛覚から始まった問いに、他者の可能性すらいまは確信するから「起きろ~!!それは夢かもしれないぞ~!!」と、過去の自分に呼びかけたいし、それに重なる感覚として「生きづらい人たちを起こして回りたい」気持ちがあるんだろう。現実には「大それたこと」はできなくとも。

◆異物な私が本質をえぐる「破壊嗜好」
自分は本質から異物。認めるし、ちょっとそのアウトサイダー感に酔ってもいるし、一生中二病の自覚があるから「左手が疼く系の自分が好き」もあるにはある。でも、何より本質が外界・他者に対して「異物になる」。

それを「決めた」瞬間が何処とかは覚えてないから、言い切れないけど、その瞬間に対していま理由づけするならそういう感覚になる。

然しこの話は、元々は「自分にとっての『可愛い』『魅力的』って何だろう?」の問いからスタートしてて、そこからここまで本質をえぐれるのが楽しすぎる。

そういう「本質をえぐる」快感が「破壊嗜好」っていう名前になったんだろうなぁ

自分は異物でアウトサイダーで不治の中二病者で…と属性デカ盛りの様相が、もう「はい自分!!!好き」に一直線で帰結する。

若い時に中二病になる子って、治っちゃって「あ~あのときの自分恥ずかしいいい」ってなるの、或る意味もったいないかもしれない。そのまま外れ者であることでいつか覚醒する人もいたかもしれない。

つまり人はどうあれ、自分は治らなくてよかったのだ。言語化できなくて、問題児の自分を振り回してた時代すら、今から見渡したら愛おしいから。

哲学・現象学は確かに自分の転換点だけど、フッサールの解説書を読んだだけじゃまだ、あと一押し足りなかったかもしれなくて。「こんな世界の観方していいの!?」って、あくまで自分を「自然的態度一点張りで生きてきた設定」にしてた。

それが「あれ?自分の本質こっちじゃん?」って気づく過程で、自己の言語が整い、過去の自分への愛おしさが生えて、たぶん「あ~自分はあの頃から一貫してWahrheitの片鱗握ってたんだ…」って思えたことが「好き」の一言になる。

伏線回収じゃないけど、まるでそういう気配のドラマティックさで、あの頃も、あの頃も、あの頃も…と「苦しかった全部の時間の理由が詳らかになる」「一貫していたことに気付かざるを得なくなる」これが決定打だと思う!

◆「ありのままの自分って、どれですか?」からずっと後の「覚醒」
中学で不登校になったとき、スクールカウンセラーに「ありのままの自分を受け入れるのよ」と言われて。半分は腑に落ちて、それを人生の目標地点にしてた――ただもう半分で「ありのままって、どの自分のこと?」という自分探しが始まってた。

もう「心理学だけじゃ救えない態度」は、始まってたんだと思う。

単純に「自分が解らない」自分探しというよりは「自分をひとつだと思えなかった」から自分にとっての正解を探した…がいま思えば、より正確か。

だから表象なんてその時々コロコロ変わった。手を変え品を変え「ここは息苦しい!」を一貫してた。それを「息苦しいに決まってんじゃん~w」って自らの肩を抱ける自分に変われたんだと思う。

自分の苦しみが「誤り」じゃなかったと理解したこと。それが「はい正解です、こちらへどーぞ」というWahrheitの顕現、福音――自己の「覚醒」でもあった

昔には「ゲームの中のミモリというキャラクターで実験」していたことが、現実の本体に乗り移って「弱い筈の支援職・メカニックでさらっとボス討伐!」の図式が自分の中でも成立した。

「メタルサーガ~荒野の箱舟~」は、未来の自分を先にプレイさせてくれていた作品だったのだ。

それからずっと先の未来で見たWahrheit、自分は異物ながら・このままでいいのだという確信、それは端的に言ってカタルシス一辺倒!っていう感じだった

だって、全部間違い、全部間違い、正して、正して「今がやっといちばんいいんだろう、でもなんか退屈だな…」から突如生えた現象学。フッサール先生による真の世界のドア・オープン!の衝撃はすごかった( *´艸)

これで自分を生きられるんだ。生きられるから、いつか生が閉じるのを惜しんでいまからもう泣いたりする日があるぐらい――実存を全う出来てる。

これまでの全部の自分が好き。いまの自分もね。ありがとうね

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