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[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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(noteより転記)




タイトルに挙げたこいつら――カバン・財布・パスケース――は、私にとって「仕方なく連れ歩いている奴ら」だ。私は社会制度さえなければ、紙の書籍とスマホとイヤホンだけを持って外に出ただろう。然しそれでは電車やバスにも乗れず、モノが買えず、カフェにも這入れず、果ては書籍そのものすら持ち歩けないのだ。





ただ、カバンはまだいいほうだ。移動式の書斎だと思えばいいのだ、要するに私にとってカバンの用途は「本が持てればいい(できれば複数冊)」――しかし私の「実存の友」である書籍たちの隣に「制度のための社会的アイテム」である財布やパスケースが入り混じっている実情が非常に違和感の大きいところで。

私は制度に従属して生活しているのではなく、制度と殴り合いながら実存しているのだ。実存は現実社会とは、いつも喧嘩腰だと感じる――どんなに内在が揺れようとも、一般の者は通勤・通学もさせられるし、他者と食事を共にせねばならない場面もあるし、そう言えば洗濯をしなければいけないなどと気づきもする――実存はそういった現実との殴り合いで、その果てに自己を自己たらしめる生き方でもあると私個人は考えている。

そこで私はこうも考える――私が制度と殴り合っているさまが「社会的アイテムの在り方」にも表れたなら、或る程度納得してそれらを持ち運ぶことが可能になるのではないか?と。

具体的には、実存主義の興った19世紀ヨーロッパのような、静けさと実用と「これしか選べなかった」ようなくたびれた風を纏う――そんな道具と暮らしたくなったのだ。

これに対する最適解は、おそらく新品や高級品より、古着屋やリサイクルショップなどに依るところが大きいと思う。特にそれらの店舗に置かれた品が「過去にヒトの手を経ている」点は、実存と同居する道具として相応しさすら覚える。

一方で、また別の問題となる奴もいる――「水筒」だ。これは外出時に自販機で飲み物を買わないための合理的で役に立つアイテムながら、そのままホルダーに入れて肩掛けすると「修学旅行の学生感」が出る面倒くさいアイテムでもある。然し私の水筒は1Lの水が入る大容量タイプのため、これを肩掛けしない場合は「カバンに入れろ」となるのは自明である。

これら「社会的・生活的な持ち物問題」については、答えが出ているわけではない。こんな記事を書いているのがその証拠でもあるが、私はいま、まさに検討の真っ只中にいる。その真っ只中で思惟を巡らすさまを、今日はここにそのまま残そうと思う。
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