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[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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(noteより転記)

目を閉じても、思索しかない。特に 見たこともないものは、思い浮かべようがないのが私という人間の性質である。文学作品を読んでも、一般的な人々のように 目の前にありありと情景が広がることは、殆どないと言える。
では その思索しかない瞼の裏の何処に「私の居所」があるのか?これについては、必ずしも 想起される物理的空間がなくてもいいのだと思う。謂わば私は、世界に生きながらも 何処か抽象的なところに、その本籍を置いているのかもしれない。
然し、このような体質に生まれたことで 却って、想像され得る視覚情報というのは、単なる美的な飾り付けに過ぎないのではないか?とも思う。例えば 小説を読むのに、必ずしも登場人物の顔や姿を想像することが必要だろうか。それは第一に与えられる その人物の情報、その人物のわずかな一片でしかないと私は思う。
逆説的に言えば、情景を想像できないことに依って そのような一片の情報で全てを判断せずに済むわけだ(断っておくが、想像力が逞しく 視覚的な情景が思い浮かべられる人が、ひとえに早計な読み方・考え方をしていると言いたいわけではない)。文章から情景が思い浮かばないことも、単に「貧しくて寂しいこと」との一点張りにはできないといえよう。
また 美的な飾り付けは、時に不必要なロマンを増長することがあるとも私は考える。視覚的な映像作品はまさにその要素を内包している。人物の表情、空間の演出、時にはBGMも用いて、物語を物語たらしめんとする。もちろん それは、感情を揺さぶることが目的の物語であるから、或る種当然のことではあるが 感動も、悲劇も 私にとっては然程 好ましくないのだ。
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