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[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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(noteより転記 2026/3/6 20:11投稿のもの)

エピクロス派の話を聞いた時、ストア派とよく対比される人たちだよねってぐらいのイメージで考えていたけれど。
エピクロス派は、単純に快楽主義だ と説明したって、刹那的で無鉄砲なんじゃなくて、よくよく調べると、飢えや暑さなどの体の苦痛を避けて、精神的に穏やかであることを目指したみたいに書かれていることがあって。
たとえば 友達と庭で話して、パンとチーズを食べて、世界を考えるっていう幸せの形からは、そういう匂いがした。
これまでの私は どちらかというと、ストア派的に生きたいと思っていた。エピクロス派のことを、一言で快楽主義とだけ説明されたせいか、あまり興味を持ったことがなかった。
そしてそれよりもストア派に惹かれたのは、自分が感受性が鋭く、感情が豊かすぎて、さらに若い頃は特に そこにロマン的な感傷を盛りすぎて疲れていたからだった。
完璧なロゴスなんてないとは思うけれど、たぶん彼らも完璧に制御していたわけではなくて、むしろそれを理想として掲げるぐらい、自分と近い悩みを抱える人々だったのかもしれないと勝手に想像していた。
実際の思想の場面でどうなのかは よくわかっていないけれど、エピクロス派とストア派っていうふうに、必ず対比させて考えなくてもいいような気もしてくる。
寧ろ、心が揺すぶられるような時代を生きた人々が、仕方はどうあれ静かで穏やかな境地をそれぞれ目指していたということは、興味深くさえ感じられるし、もしこの考えが妥当ならばだけれど 私はどちらも好きだな。

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(余談:noteにはない)

セネカの生涯についてWikipediaで読んだ時、かなり荒れ狂っているさまが伺えた。立場に巻き込まれ、政治に巻き込まれ、幾度となく揺れ動き、果ては自害を命じられるその生涯。そしてまた、セネカは哲学書とともに 悲劇も多く執筆していたことを知った。世界が揺れる瞬間と、その時どう生きるかという二本の主軸。彼を始めとするストア派の人々が求めたのは、まさに静けさだったのだろう、彼の生涯にそれが少なかったであろうという想像から そう感じる。
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