[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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こう在りたいというのは結局のところ、結構なうわ言でもあり、私の場合「こう在りたい」というよりは「こう在ると思いたい」自己が大事なのかもしれないと感じている。
珍しいタイプだとは思うが、内在/自己の内側を「第一世界」として生き、外界を最優先の世界とはしない私にとって「自分が他人にどう思われるか?」よりも「自分が自分にどう思われるか?」のほうが関心事として度合いが高いのだろう。
「自分で自分のことをどう思うか。それは他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である。」(ルキウス・アンナエウス・セネカ)
↑は私の思っていることとは少しニュアンスが違うかもしれないが、哲学を知るよりはるかに以前、所謂「名言画像」みたいなもので言葉だけを目にして、ずっと画像を保管し続けていた言葉だ。
少し「コスプレ」の話。
ここからは、一般的なコスプレイヤーの方のコスプレ観には大いに逆らった論にはなると思うが、私はコスプレをする上で大切なのは「完成度」「再現度」「原作感/2.5次元感」よりも「その人が心から、そのキャラになりきっているか」だと思っている。
以前、それがおそらくかなり「出来ている」レイヤーの方にお会いしたことがあるので、何となくそう思うし、自分自身「完コピ派」ではなく「雰囲気派」だ。簡単な服装のキャラなら→一般的な洋服にアレンジを加えてそのキャラの衣装としたこともある。
それでも「記号」的部分が揃っていれば、「わかる人にはわかる」し、その上で「なりきる態度」があれば、きっと本人的には無敵に近いだろう、とすら思う。
然し。いくら「なりきる態度」「思い込める気持ち」を日常に輸入できたとしても「在りたい自分」は簡単にはいかない。それは私の場合:態度/気持ちの問題というより→「こう在りたい・なりたい」が日々簡単に移ろってしまうことにある。
服を着替えるのと同じで、今日は〇〇になりたくて、明日になるとやっぱり△△にしようと思ってしまう。明後日のことは言うまでもない。その方向性が類似していれば=まあ、やりようがあるものの・全く違う時にはお手上げである。
珍しいタイプだとは思うが、内在/自己の内側を「第一世界」として生き、外界を最優先の世界とはしない私にとって「自分が他人にどう思われるか?」よりも「自分が自分にどう思われるか?」のほうが関心事として度合いが高いのだろう。
「自分で自分のことをどう思うか。それは他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である。」(ルキウス・アンナエウス・セネカ)
↑は私の思っていることとは少しニュアンスが違うかもしれないが、哲学を知るよりはるかに以前、所謂「名言画像」みたいなもので言葉だけを目にして、ずっと画像を保管し続けていた言葉だ。
少し「コスプレ」の話。
ここからは、一般的なコスプレイヤーの方のコスプレ観には大いに逆らった論にはなると思うが、私はコスプレをする上で大切なのは「完成度」「再現度」「原作感/2.5次元感」よりも「その人が心から、そのキャラになりきっているか」だと思っている。
以前、それがおそらくかなり「出来ている」レイヤーの方にお会いしたことがあるので、何となくそう思うし、自分自身「完コピ派」ではなく「雰囲気派」だ。簡単な服装のキャラなら→一般的な洋服にアレンジを加えてそのキャラの衣装としたこともある。
それでも「記号」的部分が揃っていれば、「わかる人にはわかる」し、その上で「なりきる態度」があれば、きっと本人的には無敵に近いだろう、とすら思う。
然し。いくら「なりきる態度」「思い込める気持ち」を日常に輸入できたとしても「在りたい自分」は簡単にはいかない。それは私の場合:態度/気持ちの問題というより→「こう在りたい・なりたい」が日々簡単に移ろってしまうことにある。
服を着替えるのと同じで、今日は〇〇になりたくて、明日になるとやっぱり△△にしようと思ってしまう。明後日のことは言うまでもない。その方向性が類似していれば=まあ、やりようがあるものの・全く違う時にはお手上げである。
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