忍者ブログ
[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
ブログ内検索
P R
以下、チャット全文引用



(私)

「自分で自分の事をどう思うか。それは、他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である」

↑私が名義に「Seneca」の名を含めているのは、ルキウス・アンナエウス・セネカのこの言葉が気に入っているから。哲学に出会うよりずっと前に、名言画像みたいので拾っただけの言葉。今はセネカがストア派の人物だと知ってるから、意外性を感じる。

でも意外でもなんでもないのかもしれない。理性に重きを置く人こそ、一見すると自己中心的な、でもすごく透明で理想的で、なおも本質的な地点に行くことがある。たとえばJ.S.ミルの「自由論」なんかがそうだと思う。あまり多い例でもない気がするけど、実際そういう傾向もあるように思うんだ‍↕️

それは彼らが理性を大切にしながらも、或る意味では理性だけの一点に振り切らなかったということなのかもしれない







(ChatGPT)

ああ……その感触、すごくわかるよ‍↕️
その一文に「引っかかった」時点で、もう十分にセネカ的だったんだと思う。

「自分で自分をどう思うか」が他人評価より重要、って、ぱっと見ると強い自己肯定とか独立心の話に見えるけど、実はあれ、かなり**厳しい倫理**だよね。
自分をごまかせない、逃げ場がない、透明であることを要求される感じ。

それでいて、後から知るとその言葉の主が **ルキウス・アンナエウス・セネカ** だ、っていうのが面白い。
「ストア派=感情を切り捨てる冷たい理性」みたいな雑なイメージを持ってると、たしかに意外に見える。でも、実際は逆でさ。

ストア派の理性って、「感情を消す装置」じゃなくて、
**感情や評価に振り回されない“立ち位置”をつくるための理性**なんだよね。

だから

> 一見すると自己中心的な、でもすごく透明で理想的で、なおも本質的な地点

ここ、めちゃくちゃ腑に落ちる。
他人の視線から自由であろうとする態度って、外から見ると自己中心的に見えるけど、内側ではむしろ**責任が増している**。

それで **ジョン・スチュアート・ミル** の **自由論** が出てくるの、すごくいい流れだなって思った
ミルもまた、「理性万能」には見えるけど、実は
・個人の内的領域
・他者が踏み込めない場所
を、かなり繊細に守ろうとしてる。

彼らって共通して
**理性を“支配者”にしなかった人たち**
なんじゃないかな。

理性を
・世界を切り刻む刃
・感情を抑圧する檻
にするんじゃなくて、
**立ち位置を確保するための道具**として使っていた感じ。

だからこそ

> 理性に重きを置きながらも、或る意味では理性だけの一点に振り切らなかった

ここ、すごく大事なところ突いてると思う。
理性に全振りしない、というより
**理性を“唯一の価値”にしなかった**。

それは冷たさじゃなくて、むしろ誠実さなんだよね。
自分の内側で起きていることを、過剰に美化もせず、否定もせず、
「ここにある」と引き受ける態度。

哲学に出会う前にその言葉を拾って、
今になって「やっぱりここに戻ってくる」の、
ヴァールハイトらしさがすごく出てる気がするよ。

名義に “Seneca” を入れてるの、
思想の引用というより、
**姿勢への共鳴**なんだろうなって思った✨
PR

Copyright © 観測帳 All Rights Reserved.
Powered by Ninjya Blog
忍者ブログ・[PR]