[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
プロフィール
HN:
Wahrheit
年齢:
35
性別:
非公開
誕生日:
1990/07/22
自己紹介:
観測・収集・編纂・断章。非ロマン思想と、ロマン的表現の両立。JubelとÜbel。精神的環世界説。
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司祭は今日も口にした。嗚呼、神よ、どうか私をお赦しください、と。司祭はそう口にするたび、喉の渇きが癒えるような感覚をおぼえた。
すると司祭は、今日は随分ほっとして、聖堂の門をくぐり、町へと飛び出して行った。少し歩調を早めて歩く司祭の耳に、路地裏から女の悲鳴が飛び込んだ。男たちの乱暴な声も入り混じっていた。
然し、司祭は何もできなかった。路地に立ち入ることもなく、その場に立ち尽くし、ロザリオを握りしめて祈るだけだった。
次の日も、司祭は口にした。嗚呼、神よ、どうか私をお赦しください、と。その祈りが、毎日毎日、司祭と誰かの罪を運んだ。司祭はもう、町へ繰り出すことはなかった。女神をかたどった像の前で、あの日の悲鳴の主を思い浮かべ続けるだけだった。
ある日、聖堂に一人の女が訪れた。然し司祭は、女が入ってきたことに気づくこともなく、祈りを捧げ続けていた。司祭には最早、目も耳もなかったのだ。四肢もまた、祈りのための器でしかなかった。
ある日、聖堂に一人の女が訪れた。然し司祭は、女が入ってきたことに気づくこともなく、祈りを捧げ続けていた。司祭には最早、目も耳もなかったのだ。四肢もまた、祈りのための器でしかなかった。
「嗚呼、神よ、どうか私をお赦しください」声はいつまでも、聖堂の空間にこだましていた。
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――それは19世紀初頭、誰もが空気を読み合う肩身の狭いロンドンでの、或る朝。
世の子どもたちが校庭で「お前が言った」「いや言ってない」の無限反復をしている頃、ジョン・スチュアート・ミル――当時まだ「ミニ・スチュアート」は、家にいた。父の方針で、学校には通っていなかったのだ。
校庭では今日も、実にしょうもない「社会」が展開されていた。
A少年がB少年に消しゴムを奪われ、責められたB少年は謎の言い訳を始める。そこへ割って入ったC少年は「常識的に考えてさぁ!」と突如「常識警察」を名乗り、また、D少年は「責任は社会にある」と何処かで聞きかじった言葉で叫ぶ。
――これが「社会」である(品質はさておき、一応『社会』である)。
世の子どもたちが校庭で「お前が言った」「いや言ってない」の無限反復をしている頃、ジョン・スチュアート・ミル――当時まだ「ミニ・スチュアート」は、家にいた。父の方針で、学校には通っていなかったのだ。
校庭では今日も、実にしょうもない「社会」が展開されていた。
A少年がB少年に消しゴムを奪われ、責められたB少年は謎の言い訳を始める。そこへ割って入ったC少年は「常識的に考えてさぁ!」と突如「常識警察」を名乗り、また、D少年は「責任は社会にある」と何処かで聞きかじった言葉で叫ぶ。
――これが「社会」である(品質はさておき、一応『社会』である)。
昔々、とある学者さんがおりましたとさ……。
「もうヤダ!エポケー(判断中止)!」
そう言って眼鏡を投げ捨て、ベッドに転がり込む男。彼の名は、エトムント・フッサール。人間の「心」や「意識」を研究する学者だった。ただし、そうは言っても「心理学者」ではない。フッサールの学問は、古代ギリシアに始まって、そこで「哲学」と呼ばれたものだった――つまり、フッサールは「哲学者」と呼ばれる人種だった。
「エポケーはあなたにとって専門用語ですよね? だったら正しく使って、さっさと研究進めてくださいよ」
しずかな目をした背の高い女性が、フッサールに苦言を呈する。彼女はフッサールの弟子で、研究を大いに手伝っているエーディトだ。そもそもこのエーディトが追い立てないと、フッサールは研究に取り掛からないことのほうが多い。然し、追い立てたって、研究に取り掛からないことはもっと多い。
「だって飽きちゃったんだもん。現象学ムズカシイ。ねぇエーディトさぁ、それより数学の話しようよ。ほら、この三角形の底辺の……」
「仕事をしろ! 現象学を!!」
長いひげをいじってごねるフッサールを、エーディトが一喝する。そう――フッサールが取り組んでいた学問は、現象学と呼ばれるもので、哲学の中ではあまりに前衛的だった。それゆえ、この時代には彼ぐらいしかやろうとしなかったのである。それは、まあ――仕事も捗らないわけだ。
(本気を出したら、この人は『スゴイ』のに……)
一向に仕事に戻る気配を見せず、ベッドでゴロゴロするフッサールを見ながら、エーディトは遠い日のことを思い出していた――
「ねぇエーディト。この世ではみんな誰もが『当たり前の世界』を共有している。でも、たとえばどうして『リンゴは赤くて丸いよね』って自分以外の人に言い切れるのかな。全人類が顔を合わせて、リンゴを確かめ合ったわけじゃないじゃないか。そのリンゴが、客観的に見ても赤くて丸いだなんて……『客観』って、何なのさ?」
そうつぶやきながら、フッサールはあの日、エーディトの横で街の影に埋もれた地平線の、もっと向こうを見ていた。
「当たり前の世界について」これがまさしく、現象学のテーマとするところなのだ。もっと言えば――「人間みんなに同じ『当たり前の世界』が見える『現象』について」――それが彼の専門分野・現象学。
ただし、真面目に取り組むことは、見ての通り少ない……。
「もう三角形のもの全部捨てますよ! 三角見るとすぐ数学の話しちゃうんだから!」
「いいもん! そしたら長方形とか菱形で数学するし!!」
フッサールは哲学者だし、とうに「おじさん」の年齢だが、あまりに「子ども」なところもある。そして、三角形のものを全部捨てられたぐらいじゃ、へこたれない意志の持ち主でもある――ほんとうは、現象学に対しても、その姿勢はあるのだが。
この学問は、新しすぎたし、それを理解する人もなかなか居なかったので、ついてくる者もそうは現れなかった。そんな中で、フッサールには、エーディトという有能な弟子がいる。彼女は、なかなか仕事をしないフッサールを叱るだけでなく、実は彼が蔭で現象学について書き散らしていたメモを、しっかりした文章にまとめ上げていたりするのだ。作る料理も上等だし、服をきちんと畳むことも容易な人――逆に言えばフッサールは、服をきちんと畳まない。ちなみに、エーディトの好物はチーズケーキ。
そのチーズケーキが、ストレス発散のためにそろそろ欲しくもなってくる……そう思いながらふと視線をずらしたとき、エーディトは床に落ちている紙に気付いた。フッサールの文字で、何か書かれている――
「この直観は、説明不能だが、おそらく絶対に当たっている」
エーディトには、そのメモがただの落書きには思えなかった。だから彼女はそれを拾い上げて、自分の手帳にそっと挟んだ――
――つづかない。(歴史上ではつづく)
