[主な“外部脳”としてnoteを使用しているため、こちらにはnoteから転記した文章が多くなる。もう一つの保存場所というようなイメージ]
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真実[Wahrheit]は、free的な側面とliberty的な側面を両方抱えている。そのまま現れるものとしての真実と、己が選び引き受ける真実。
生まれ落ちるということ自体が、欠けることでもある。だが、悲観はいらない。
私はなるべく誤らないために、「完成してから出す」という行為をひかえている。
(各断章、noteより転記)
生まれ落ちるということ自体が、欠けることでもある。だが、悲観はいらない。
私はなるべく誤らないために、「完成してから出す」という行為をひかえている。
(各断章、noteより転記)
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(noteより転記)
(26.3.25)
22:27 [青の文字]Jubelは、苦しみの中ですら発生しうるふしぎな感覚。[緑の文字]きっと、ここまで来た。
22:28 自分はもうひとり居る。物理的にではないし、イマジナリーフレンドでもないけど、もうひとり居る。たしかに。
「一者のなかの二者」――ハンナ・アーレント
(26.3.25)
22:27 [青の文字]Jubelは、苦しみの中ですら発生しうるふしぎな感覚。[緑の文字]きっと、ここまで来た。
22:28 自分はもうひとり居る。物理的にではないし、イマジナリーフレンドでもないけど、もうひとり居る。たしかに。
「一者のなかの二者」――ハンナ・アーレント
自己を正当化したいような生き物が、正当なわけが無いので、或る意味では妥当な線にわれわれはいつも居るのだ。
人と関わるとは、たとえ相手が一人でも広義的には社会参加にあたることだと、私は思う。そして私には「社会参加は倫理的には良いこととされるから、なるべく行う」というぐらいの価値観しか実はない。
人と関わらなくても社会が問題にしない、その上で生物的にも問題ないというような仕組みになっていたら、家でずっと本を読んだりパソコンを触ったりしていたかもしれない。
然し、それで別段問題ないと思っている。私のライフワークはほぼほぼ「観測」であるから。
人と関わるとは、たとえ相手が一人でも広義的には社会参加にあたることだと、私は思う。そして私には「社会参加は倫理的には良いこととされるから、なるべく行う」というぐらいの価値観しか実はない。
人と関わらなくても社会が問題にしない、その上で生物的にも問題ないというような仕組みになっていたら、家でずっと本を読んだりパソコンを触ったりしていたかもしれない。
然し、それで別段問題ないと思っている。私のライフワークはほぼほぼ「観測」であるから。
私の言い表すJubelとは、大げさなよろこびでなくて良い。ただ静かでも密やかでも、えも言われぬ自己満足を己にもたらす物事。
